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喫茶ポプリ
ブログ紹介
1995年パソコン通信ニフティサーブに集まった平沢進ファンの盛り上がりをうけて、ニフティ内にファンサイト(BBS)として開設。その後インターネットに移転。
で、その間いろいろあったりするわけですが、この度、個人のブログとして(勝手に)リニューアルすることにしました。
たまにはヒラサワの話もするから許してけろんちょ。    FOO
-2007/10/22 - 

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◆twitterもやってます。小ネタはそっちが中心です。 http://twitter.com/foomodel
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プログレ人脈

2016/10/10 14:08
平沢進 Vol.5 (9)

アナログ盤のサイズでしか確認できないのだが、Pモデル『アナザー・ゲーム』の裏ジャケットには Thants to の欄に Ako(Zelda)とクレジットされている。
ZELDAは同時期に活動していたバンドなので、交流があっても不思議ではないにしても「なぜアコだけ?」という疑問が長い間わたしの脳内に鎮座していた。

小澤亜子がZELDA加入前に“新月”(正確な表記は“新●月”)のメンバーだったという記述は雑誌等で何度か目にしていた。プログレに関しては門外漢であったが、新月はレコードデビューを果たしており、伝説のバンドとして知名度もあったので、年齢から考えても何かの間違いか同名の別のバンドではないかと思っていた。
最近知ったのだがそれは事実で、彼女は新月の最終期のドラマーで、スカウトされた頃は女子高生だったそうだ。スタジオでは高校の制服のままドラムを叩いていたという。うわあ、その姿見たい見たい〜!!(悶絶)

失礼 。

で、その新月はPモデルの前身であるマンドレイクとの共演が多く、特にベーシストの阿久津徹はマンドレイク加入前から新月と親交があったという。
つまりは、Pモデルと小澤亜子はプログレ人脈による繋がりだったのが真相のようだ。
アコは新月解散後に元メンバーが結成したPHONOGENIX(フォノジェニックス)でも活動している。

この件をネットで追っかけていたら、別の収穫があった。
平沢作品にいくつか参加している松本かよ(「OH MAMA!」のソプラノ・ヴォーカル等)に関してはどんな人物か全く不明だったが、この人、どうやら平沢進も関わっていたバッハ・リヴォリューションのメンバーである小久保隆の奥さんのようだ。クレジット表記が「松本かよ」と「小久保かよ」で混在しているからそう推測してるのだが。
ちなみに、小久保隆は新月のサポートミュージシャンだったし、松本かよも新月の派生プロジェクトといえる「HAL&RING」に参加している。
(文中、敬称略)

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美術館に火をつけるよ

2016/09/04 11:09
平沢進 Vol.5 (8)

小説家や映画監督のデビュー作には、その人が描き続ける永遠のテーマが凝縮されているという。
Pモデルのデビューシングル「美術館で会った人だろ」を狂気のラブソングと語る人は多いが、本当にそれがテーマだろうか。

とにかくタイトルが印象的だ。しかし、「僕」と「あんた」が出会う場所が「美術館」なのは何故?
実体験ではないだろう。平沢進と美術館、、、似合わないよねえ。
Pモデルの前身がプログレバンドで、パンクムーブメントの洗礼を受けてモデルチェンジした経緯を知る人達は、美術館が「大仰なアートに変容したロックミュージック(が演奏されるホール)」の意味だと当初からわかっていたのかも知れない。

<きれいな絵>ではなく、<きれいな額>と歌っていることに注目。
泣いている子供=ロックキッズだとすれば、彼らの嘆きを、パッケージ化された楽曲や枠にはまってつまらなくなった音楽シーンのせいと指摘する「あんた」は、「僕」にとって見込みのある音楽ファンだったはずだ。

  なのにどうして、自分達のバンドを聴こうとしない!

そりゃ、既存のロックなど焼き払いたくもなるだろう。

RCサクセションの「雨上がりの夜空に」のように何かを性的なメタファにして歌う曲は数あれど、その逆のパターンでダブルミーニングを持たせるのだから稀有な才能だと思う。

このまま「僕」を演者「あんた」を観客とすることで、2番の最後の宣言<窓ガラスを割ってやる>が違う意味を持ってくる。演者と観客を隔てる見えない境界、それが<窓ガラス>だ。
美術館のような権威的な容れ物に価値が無くなり、演者が観客に、観客が演者に入れ替わる。まさしく平沢進の追い求めるユートピアではないか。

あんたと一緒にいいこと、いや、(血糊で汚れる)ワルイことをするのがヒラサワにとって<夢の世界>なのだから。


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鉄切り歌

2015/12/13 13:21
平沢進 Vol.5 (7)

まずは「アヴァター・アローン」の話から。

曲が出来たときは、(道に)あああー あおーん♪だったはず。
歌詞がハマればいいのだから、ここは「アジャパーだよ〜ん」でもよい。
よくないか。
しかるに、あおーん には「アローン」が選ばれた。
平沢さんが好きなSF小説『人間以上』からのチョイスだろう。
天涯孤独だった青年ローン(自分でつけた名前は「オール・アローン」)が世間から迫害される様がこの曲のモチーフとみた。
「衛星ALONE」や綴りを反転させた「電子悲劇ENOLA」もあるし、以前から重要なワードだったと思われる。

『ホログラムを登る男』は、ホログラムに象徴される様々な非現実、虚像、幻影をテーマにしたアルバムだ。
実体がないというくくりであれば、我々の思念もそうだと言えなくもない。
それは夢見る力として活動の源泉になればいいが、硬直した思い込みとして自らを縛る鎖にもなる。
だが、ヒラサワは「鉄切り歌」で歌いかける。
あせらず経験を積めば、鉄の茨も断ち切れる日が来ると。

ところで「ソリトン」の冒頭にも“鉄”が登場する。(♪このの色あい・・)
ソリトンは孤立波=アローンの波。
アローンとアイロン(鉄:iron)は似てないだろうか。

インタラクティブ・ライブ WORLD CELL 2015 の最終日、私は会場参加した。
エンディングで歌われたのは、終幕に相応しい「鉄切り歌」だった。

 空の星座へ 空の星座へ・・・

星座は星の集まり、アローンではない。
全国から駆けつけた観客は、♪鉄は だんだん切れ♪ の合唱でひとつになった。
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愛を知る刃で一刀両断

2015/12/13 10:34
平沢進 Vol.5(6)

表題は気にしない。

幻の断崖であがく「ホログラムを登る男」は、地に足を付けていない愚か者なのか。
虚業にうつつを抜かす蒙昧な現代人を蔑んでいる歌のように聴こえたが
< 死よりなお悪辣と・・停滞を撃つ >のフレーズがその解釈を否定した。
現状を良しとせず、不確かな岩場に足をかけ、幾たび滑落しようとも前人未到の頂を目指す不屈の男。
まさにヒラサワ自身ではないか。

「クオリア塔の歌詞にある“虚妄”って仏教の言葉だよね」とMoo(ウチの嫁)が言う。
釈迦は「将来を不安に思う事は無意味」と語ったそうだ。
「不安を打ち消すために自信を持とうとする事も幻想だ」とも。
たしかに、将来を心配して悩む事と、見通しを立てて目の前の問題を処理する事は違う。

平沢進は実践の人だ。
「これはおかしい、こうすべきだ」と思えば、慣習や慣例など気にしないでアクションを起こす。
それがヒラサワの人生の鉄岳、おおっと間違えた哲学なのだ。
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ホモ・ゲシュタルト

2015/11/08 18:17
平沢進 vol.5 (5)

  グボグボグボグボボボ・・・・

潜水服から漏れるような泡音から始まる「ホモ・ゲシュタルト」は、衒学的な言葉が乱舞する『big body』の中ではタイトル以外は平易な単語で綴られた歌ですが、平沢進の歌詞の魅力が凝縮されているという点は、個人的には代表作に挙げていいくらい深みのある曲だと思っています。

そのタイトルは、平沢さんが「一番好きなSF小説かもしれない」と語るシオドア・スタージョンの『人間以上』からの引用で、主人公達が自らを称する“集合人(ホモ・ゲシュタルト)”の概念がアルバム全体のテーマらしいです。

テレポートや念動力、テレパシーと言った超能力を持つ白痴の青年や発達障害の子供達は、共棲することで各々を補い合い生き延びていく。面白い小説ではありますが、彼らミュータントが巨悪と戦うような爽快なお話ではありません。中高生の読者など相手にしない描写で綴られています。

黒人や孤児といった世の中から疎ましがられる者達が、連携・連帯によって想像を超えた英知や発明を得るという設定に平沢さんは共感したのでしょうか。はからずもバンド(band:集合体)は、各楽器奏者が個人では成し得ない“奇跡”を生み出しますし、ミュージシャンそのものが世間的には異端者ですから。

“深みのある曲”と書きましたが“深読みが出来る曲”と言い換えても構わないでしょう。
<GIGAに及ぶほどの光>=ビッグバン(「光あれ」?)という宇宙創生から始まる壮大なスケールにおののき、<下降のG>は重力か、はたまた神の降臨か。<孤立のピーク>は、波動関数による量子の広がりと収束に違いない。神は遍在するのだ!(観測されるまで)

ああ、楽しい。

さて、この曲で最も腑に落ちないフレーズは<GIGAほどWIDE>の対で歌われる<NANOまでDEEP>です。

  ♪DEEEEEEEEE(・・・んーーーー、なんで??)EEEEEEP

  “ワイド”の反対語は“ディープ”ではなかろう。

いや、DEEPのほうが主題なのでは? そう、この歌は、そもそも“深い”のです。

「ホモ・ゲシュタルト」は、世界中の人達がインターネットで繋がることで、改訂ホモ・サピエンスとでもいうべき高みに至る期待感を歌っているように聞こえます。しかし、鏡映しのように別のメッセージを語りかけているのです。
物質的なテクノロジーの光でも覆いきれない普遍的な孤独(ミュータント達が抱いていたような孤立感)を抱えた我々も意識の深いところでは繋がっているよ、表層ではバラバラであっても個人的無意識のさらに深く沈みこんだ集合無意識の領域で私達は一つになり得るのだ、と。

big body は big spirit の陰陽反転したものなのですね。

                このへんがピーク
                          ↓
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Kingdom

2015/01/04 11:03
平沢進 vol.5 (4)

作風の変化からファンを戸惑わせた『Sim City』。収録曲の中でも<去勢の歌手団>という歌詞が鮮烈な「Kingdom」は、迫害を受ける性的マイノリティを歌った曲だと思われた。
しかし、奇妙なのは散見されるキリスト教のモチーフだ。
仏教徒が多い Kingdom of Thailand(タイ王国)が舞台にもかかわらず、遥か遠いバチカン市国にあるシスティナ礼拝堂が登場するのは何故?
キーになるのはミケランジェロが礼拝堂の天井に描いた『最後の審判』だ。
現代において「最後の審判」と言えるシチュエーションは核戦争だろう。
つまり、<喝采にそびえ立つ弾丸>は、核弾頭を搭載したミサイルであり、人類がその愚かさのために滅びる日を歌っているのだ。
確信を得たのは<終末の避暑のため>という歌詞で、長い間この謎のフレーズは私を悩ませた。
週末の避暑?ブルジョアが別荘でテニスでもやるのか?
いや違う。週末の避暑 = “終末の日”暑 なのだ。

天に召されたイエスが再び降臨し、世界の終わりの日に信者を天国に導き入れる。
なるほど。<シスター千人/歌手団千人>の<千人>が、最後の審判以降、神が直接地上を支配する「千年王国」を連想させる言葉として機能するではないか。
ちなみに Kingdom は「天国」を意味する言葉でもあるらしい。
歌詞中のキミをカミと読み換えることも可能だ。

虐げられた者達が<秘密の声>の主を歓待の歌で迎える。
夢に見た救済の時は来たのだ。


(イエスの「再臨」を歌ったのが「サイレン」と考えるのも面白いだろう)
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『悪童日記』(アゴタ・クリストフ著)

2014/11/03 22:19
書店の文庫本コーナーに『悪童日記』の文庫本が平積みになってて「何で?」と思ったが、帯に書かれた「映画化」の文字で納得した。
この小説には国名も人物名もいっさい表記されていないが、第二次世界大戦中のヨーロッパ、それもドイツ軍に占領された国の話なのは読み始めればすぐにわかる。
主人公は双子の少年で、『悪童日記』という秀逸な邦題のとおり、特異な感性を持った彼らが戦時下で体験する出来事を書いた日記(短い作文)となっている。辞書と聖書で読み書きを覚えた彼らの文章は翻訳を通してもユニークだ。時代背景も含め映画『ブリキの太鼓』と似ていると思ったのは私だけではないはずで、ドライで残酷な描写も共通している。

家に帰って映画の公式サイトで予告編を観て驚いた。まるっきり原作のイメージと違う感動作品になってるではないか。ご丁寧にも【文部科学省推薦】だって。実際の映画はわからないが、宣伝の仕方はまったく原作のテイストとは異なっていた。
(あと、ウィキペディアのあらすじがネタバレすぎて絶句)

この小説は、私が初めて今監督の自宅に招かれたとき、彼に強く薦められて知った。
話し込んで夜も更けた頃、というか朝方近くに「これがいいんだよ」笑顔でハードカバーの本作を手にとり紹介してくれたのだ。「なにがいいってね」と一説を暗誦し始めた。
「ぼくらには、きわめて単純なルールがある、作文の内容は真実でなければならない。ぼくらが記述するのは、あるがままの事実、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない」

まだ『千年女優』の制作が始まる前だから、当人が一風変わった作風で知られる時期でもなかったので、主観を交えない描写("好き"だの"親切な"はNG)に惹かれる、という彼の言葉にはピンとこなかった。
それからずいぶん経った頃、"意図が見える絵は書きたくない"というインタビューでの発言を知り、そういうことだったのか、と思ったものだ。

「そういうことか」と書いたものの具体的には上手く説明できないんだけどね。
そのあたりは、世の今 敏ファンの方々の考察に委ねることにしよう。
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